昆布岳(1045m)
●2005年3月
【ルート】
豊浦町・山梨→壮滝別川左股280m→東尾根→山頂往復
【メンバ】
米山悟(84入部)、斉藤清克(87年入部)
【行程】
3月27日・壮滝別川左股280m車デポ(9:20)→昆布岳(12:55-13:30)→車デポ(15:00)
【天候】
晴れ時々曇り・2度
地質学教室の在田先生の退官最終講義に札幌へ行き、翌日斎藤と昆布岳を登った。昆布岳のすそ野の直径は隣の羊蹄山と同じ位に見える。山態は、皿を伏せたような丸く低い古い火山の真ん中にマッターホルンのような小さな三角錐が乗っている感じだ。地形図で見ると、火山だらけの後志・胆振地方では一際大きな存在感がある山で、昔から気になっていた。斎藤と僕と、二人とも未踏の山を探して行き当たった。
傾斜が緩すぎてスキーが滑らん、という話を聞いたので、比較的傾斜のありそうな東尾根、豊浦町の山梨集落の壮滝別川左股の、水線が二つに分かれる間の尾根(五万図で)を斎藤が選んだ。基本的にどこから登ってもオーケーな山だ。この辺りは人家がほとんど無いのに道路の除雪が行き届いている。山麓一帯は丘陵と深い谷が特徴的だ。
尾根の傾斜はファミリースキー場並みで非常にのどか。雪は安定しているがベタベタくっつく重い雪。晴れ時々曇り、気温2度で徐々に高度を稼ぐ。広い尾根上はハンノキ、ダケカンバなどのそこそこ大きな木が良い間隔で生えていて爽やかだ。標高900の東峰で初めて「胆振のマッターホルン」が見えた。標高差100mだが、おっ立った姿は秀麗だ。見れば南東尾根から山頂を目指す二人組、北尾根にも人影がある。
山頂への急斜面は遠目には壁のように見えるが、ジグザグスキーで山頂まで行ける。狭く細い山頂には巨大雪庇あり。未踏ピークでの握手はうれしい。独立峰なので、噴火湾から日本海、羊蹄山にニセコ、雷電辺りまでよく見える。今年の残雪は多いので長く春山を楽しめそうだ。
山頂からの急斜面はいい雪質だった。シール外してろうそくを塗り込む。ここの滑りがきょう一番の斜面だ、「ヘルンリ稜」にナミナミマークを刻む。東峰に戻ると、僕らのトレースに沿ってスノーモービル何台かが走り回った跡があった。スキー場みたいで興ざめだ。美しい沢の中で堰堤が出てきた時のような気分だ。緩傾斜帯は、思いのほか良く滑った。ただし雪がべたついて、ターンに力がいるので足がくたびれた。尾根自体は樹木の間隔が良く、良いスキー斜面だ。ザラメの季節は最高だろう。
豊浦に出て町民でにぎわう温泉に浸かり、列車の接続が悪いので、長万部まで車で送ってもらった。夕暮れ時、噴火湾の海の色が白っぽい緑色で、見たことのない美しさだ。20年前、北大受験帰りの長万部下車以来変わらず存続している駅前角の「長万部食堂」は残念ながら日曜定休だった。ここは破格800円のカニメシが食べられる。その隣の店でカツ丼。列車で函館に戻ると満月だった。
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チリのゴンちゃんが一時帰国しているので京都で一席もうけるからできれば出席するように、と内藤さんよりお達しがあり、3月22日夜、春雨にぬるる京都市内一等地、料亭「かつら」で繊細優美な京料理を肴にxx冠の純米大吟醸酒を嘗めつつ、ゴンちゃんの昔と同じ調子の、時にやや不敬な感じがしないでもない虚実入り乱れた話題の数々を聞く。
ピノチェトもエビータも鈴木善幸も、はたまたアニータさえもチリ産のシャケと同列で分け隔てなくレモンをかけてマリネにしてしまう。
一方久し振りに見る我が家の庭は、見慣れた木の枝ぶりが陰湿なアカデミズムで傷つき、外来の雑草がハバを利かせ、矮小化した盆栽ばかりが目立つようで、写真に収まったゴンちゃんはたばこ片手になにやら憮然としたご様子。
散会後、帰りの阪急電鉄の車中で、律儀で恩義に篤いチリ人気質をひとくさり、所有する牧場の行く末について独白を少々。別れ際に私の肩をドンとたたいてスペイン語でも現代口語でもない一言、「また会うべし」。
出席(敬称略):西村(1957)、相田(1958)、内藤(1959)、渡辺尚(1959)、川道(1962)、京都エルム会より、山田氏、福島氏、羽田氏(ちなみに羽田氏はペテガリ遭難の羽田喜久男さんのご親族)
報告:岸本(1965)
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知床
3月下旬(6-3) 海別〜遠音別〜知西別
L山下(8 AL勝亦 中島(2 M澤田 平塚(1
<時間とルート>
1日目 峰浜(5h)co.700付近=C1
除雪は、地図上シマトツカリ川の「マ」の字まで。海別川沿い右岸の林道に入り、co.440二股で真ん中の尾根にのる。co.700付近でC1。タンネL:800手前。
2日目 C1(3h)海別岳(2h)糠真布川源頭コル(1.5h)・888ポコ=C2
海別ピークまでスキーで行ってる記録もあるが、硬くなったらシートラ。ピークから国境稜線より1本北の尾根を降り、糠真布川源頭コルへ。このコルは夏天でも泊まれる。コルから稜線上を適当にポコをまきながら行く。ポコ間のコルは穴が掘れる所が多い。co.888ポコ付近でC2。
3日目 C2(3h)ラサ手前コル(1.5h)ラサヌプリ(2h)co.350二股=C3
ラサ手前コルも泊まれる。ラサ上部は岩壁となっており、基部を捲き北側のコルに出て、そこからAt。ラサからはオンネベツ川上流に入り、co.350二股まで下り、そこでC3。
4日目 C3(1.5h)「斜」コル(2.5h)co.600=C4
沢をつめ再び稜上へ。雪の状態が悪そうだったら稜上をそのまま行く。岩峰やポコは適当に捲いていく。ポンオンネベツ川上流co.600でC4。尾根のタンネL:700、カンバL:750。
5日目 C4(3h)遠音別岳(4h)知西別岳(1.5h)羅臼湖=C5
尾根を行き遠音別ピークまで。遠音別から稜上を知西別まで。遠音別直下BSもするかも。5mほどの雪稜がふたつある。知西別は東側がガレているので注意する。知西別から最低コルを経て羅臼湖でC5。時間あれば天頂山を経て愛山荘まで。
6日目 C5(1.5h)愛山荘(3h)宇登呂
国道下山。
<天気・停滞・進め方>
停滞3日、天気待ち用。のっこしには2日持って入る。海別のっこし視界200〜300、時間待ちは11:00。ラサのっこしは視界100、時間待ちはピークで14:00まで。遠音別のっこし視界500。風はふらつかない程度。2日目、羅臼湖に下ろせばタンネある。Esc.は・888ポコから北西に伸びる尾根。・888ポコ(4h)国道 co.600付近C3から、・617の北を捲き、ポンオンネベツ川沿いの林道で国道まで。co.600付近C3(4.5h)国道。テン場着16:00、最終人家(宇登呂)着16:00。
<パーティ>
春メイン。
Ls:のっこし判断、Rf、M判断
M:体力、アイゼン歩行、諸動作
<装備>
夏テン、ザイル9mm×40m、鋸×2、スノーソー×2、ストーブ、灯油110ml/人/日、無線、修理具、茶食器、鍋、ろうそく、他腰シュリンゲ、スキー、EP含む冬山個人装備
<準備山行>
・無意根山引き返し(2ー0)
・天塩岳引き返し(2ー1)
・天塩岳のっこし(2ー1)
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北日高
3月下旬 芽室ーチロロールベシベ
L見瀬(3 AL澤田(4 寺尾 辻 吉田 (1
<時間とルート>
1日目 林道終点(3.5h)頭(1.5h)小屋=C1
林道終点より小屋まで.7km.
2日目 小屋(6h)芽室ピーク=Ω2
タンネ限界は1300、樹林限界は1700。夏道尾根は稜線近くまでスキーで行けるかも。芽室ピークか夏道尾根肩でΩ2。
3日目 Ω2(1h)池(1.5h)1633西コル(2h)雪盛山(4.5h)ルベシベ分岐=Ω3
稜上は所々雪庇が出ているが、尾根は広く対処は容易。雪盛山付近でシートラ。ルベシベ分岐付近でΩ3。
4日目 Ω3(4h)チロロピーク(3h)Ω3=Ω4
ルベシベピークから先は、岩または雪稜上。核心部はルベシベ下りの崖マークとチロロ手前。チロロピーク直下は急。帰りは来た道。
5日目 Ω4(2.5h)八ノ沢出合い(4h)ダム
ルベシベ分岐東の1644北東尾根を下る。
<天気・停滞・進め方>
3日目の行程に停滞2日。予備に1日。のっこしの視界は200〜300。アタックの日は視界500。風はふられない程度。気温は消耗しない程度。天気傾向は2日良くて2日悪い。高気圧圏内、低気圧前面で晴れ。低気圧通過と冬型で悪い。天場着15:00、最終下山16:00。
<パーティ>
Ls:天気、のっこし、雪庇、ザイル判断。
M:体力、口出し、EP。
<装備>
冬天、フライ、なべ、茶食器、ノコ×2、スノーソー×2、ストーブ、灯油110/人・日、ロウソク、無線、スキー、アイゼン修理具、ザイル、その他EP,スキー、腰シュリンゲ、おしめ含む冬山個装
<準備山行>
・樽前山のっこし(2ー0)
・美瑛岳Co1500引き返し(2ー0)
・十勝岳ーオムシャ(2ー0)
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オロフレ山(1231m)
●2005年2月
オロフレ山
【ルート】
盤渓→西尾根→オロフレ山往復
【メンバ】
米山悟、斉藤清克、梶川耕司
【日 程】
2月12日
盤渓(12:30)→西尾根750mでイグルー(15:00)イグルー完成(16:00)
2月13日
イグルー発(9:00)→山頂(11:00-20)→イグルー(12:15-40)→盤渓(13:40)→オロフレ峠の遭難現場へ
1990年に死んだ小松の追悼で遭難現場に集まる。札幌の斎藤と室蘭の梶川とでオロフレ山の西尾根を登って、山頂を踏んでから追悼会に合流することにした。
鉄道で伊達紋別へ。駅横のよろず屋でパンとピーナツを買う。梶川に拾ってもらって盤渓へ。僕は20年ぶりの再訪だ。鉄道は消え、小学校は自然体験施設に変わっていた。小学校横の林道を進む。ヒザ近くのラッセルだ。細いハンノキやカンバの急斜面を登る。タンネが全然無い。誰かが切ってしまったのだろう。
標高750mあたりでイグルーを作る。皆、慣れたものだ。三人ゆったり、壁も特厚の立派な物が1時間で出来た。一段目はマジメに踏み固めた大きく硬いブロックが必要だが、二段目以降は、表面の30センチほどのパウダー層をかき分けた下の、自然に圧雪された層を切るだけで軽くてまとまったブロックが出来ることを発見した。これは樹林帯では手抜きでいい手だ。立ち枯れの木を倒して焚き火。斎藤がアルミ製のジンギナベを持ち上げていて、塩ホルモンを堪能した。時折降雪、気温は氷点下ヒト桁くらい。
完璧なイグルーのため熟睡して7時起床、9時発。ゆるやかな樹林帯をヒザ下のラッセルで抜ける。時々ニレやイチイの大木がある。広い稜線に出ると風が強く、カンバも背が低い。下降点がわかりにくいのでデポ旗を三枚カンバに結ぶ。南へ右折し、ズボズボの強風帯を行く。視界は100m以下、結構な吹雪だ。カンバの影も見えず、ついに視界が50mを切った頃山頂。20年前はオロフレをカットしてホロホロ山にのっこしたので、初登頂だ。
帰りは強風の向かい風の中、目出帽をデストロイヤーにして磁石見てマジな下山。斎藤はほっぺたにシモヤケ。首尾良く旗を見つけ、樹林密度のやや高い尾根をシールはずして下山。育ちの同じ山岳部員同士のパーティーは、何かと手はずが良い。言葉に出さなくとも仕事運びが良く、心地よい。
下山後、札幌から来ていた澤柿、ディック、中村、野村、銭谷とオロフレ峠近くの遭難現場で合流、小松の里の秋田のうまい酒を捧げて、カメラーデンリートを歌う。
小松は雪庇踏み抜き、雪崩埋没で突然死んだ。前の瞬間までそんな予想もできないだろう一年生だった。僕も一年目の時、全く同じ失敗をしたのでわかる。山の怖さなんか全く知らない、登るのが楽しいだけの時期だ。生きていればまたいろいろ危ないこともあったろうが、まだ登っていただろうか。15年経って集まった面々を見て変わらないなと思ったろうか。皆まったく変わっていなかった。
風呂を浴びて、蕎麦食べて解散。僕は東室蘭駅から函館行き列車に乗る。
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2004冬メイン二年班 オムシャ〜トヨニ〜ピリカ
04 12/27〜12/29(3-0)
L:見瀬(3 AL:市川(3 M:勝亦、中島(2
<時間とルート>
27日 曇り 国道(8:30)Co1150(11:00〜30)頭(11:35)オムシャヌプリ(12:45〜50)頭(13:40)Co1150=C1(13:45)
天気を読んで入山を一日遅らせた。ニオベツ川左岸尾根を行く。とりつきまでに渡渉数回。下部は急でブッシュが不快だが、水産ワンゲルのものと思われるトレースを辿っていく。下から見た限り、頭は岩が出ており、穴は掘れなさそうだったので、Co1150のカンバ帯にテントを設営する。風は時折気になる程度、視界は頭からオムシャが見えたので1kmちょっと。天気に悪化の兆しが出たらすぐに引き返すという方針で、オムシャにアタック。頭〜オムシャは所々岩が出ているが対処は容易。おおむね日高側を巻く。この日が予報通り、3日の中では一番悪かったが大きく崩れることは無かった。
28日 曇りのち晴れ C1(6:50)野塚岳(7:45)ESC頭(9:50〜10:00)トヨニ岳=C2(12:45)
朝出てみると、トヨニ岳の上にだけ雲がかかっている。風は前日と同じ程度。冬型が徐々に決まり、天気は安定するだろうと見て乗っ越しをかける。野塚岳が朝やけに染まり美しい。野塚岳の登りは雪少なく、所々岩が出ているが問題ない。野塚岳東峰〜西峰は雪稜状。・1268より下ったところに3つの岩峰、いずれも上を行く。ESC尾根の頭あたりから天気が良くなる。・1251を越えたところに岩稜。十勝側を巻いたあと上を行く。Co1350付近にナイフリッジ。ノーザイルで抜ける。トヨニ岳では360度視界∞。十勝平野がどこまでも広がっている。ピーク直下にイグルーを作ろうとするが、すぐに地面が出てきてしまったので、もう少し北よりの雪庇の際に雪洞を掘る。
29日 快晴 C2(6:15)ピリカヌプリ(9:30〜40)C2(12:45〜13:40)国道(16:10)
雪洞から十勝の町の光が見える。出てみると、雲ひとつ無い夜空に大きく満ちた月が輝いていた。青白い月明かりに照らされたピリカは両翼を大きく広げ神々しい。天気概況でも天気の悪化はなさそうだ。行くしかない。
月明かりの中を行く。所々小さな雪庇が十勝側に出ているが問題ない。・1338〜ピリカは細いところや急な登りがいくつか出てくる。ピリカ直下は急だが、雪崩の心配は無かった。市川がピークを二年生に譲り、二人は肩を組んで登頂した。はるかに続く日高の山並みが見える。来れて良かった。握手と記念撮影を済ませて早々に頂上を後にする。雪洞で茶を飲んで休んだ後、天場を下ろせるだけ下ろすセンスで南東尾根を下る。南東尾根は急でブッシュが多く不快調。どこかでもう一泊して焚き火でも、という声もあったが下山することに。渡渉を数回したのち、野塚トンネルの北口に出て下山。最後はかなり疲れた。
パトカーに車まで送ってもらい天馬でたらふく飯を食って帰札。短かったが良いメインだった。
<パーティー>
L-s:天気判断、乗越し判断できた
M:前歩いた、頑張った
<備考>
ニオベツ左岸尾根の頭はこの時期でも穴を掘って泊まっている記録があったが、今年はトヨニ以南では掘れそうもなかった。しかし、トヨニ以南は標高が低いため、尾根などを使って標高を下げられればテントで泊まれそうな場所は何箇所かあった。トヨニ以北は十分な雪があり掘れそうな場所はたくさんあった。今年は広尾町などでは雪が多く降っていたようだが、トヨニ以南は特に雪の少ない年だったようだ。天気は3日とも総じて良かった。やはり、南日高は冬型が決まると晴れるらしい。風も弱く、去年のような爆風は吹かなかったが、これは千島近海の低気圧の勢力が弱かったためだと考えられる。
<感想>
見瀬:準山で事故を起こしてしまい、一時はパーティー解散も覚悟したが、こうしてメインを無事終えることが出来て良かった。天気と足の揃ったメンバーに感謝。
市川:快晴の中、望むピリカは「両翼を広げた」という形容は誤りで女神がお股をおっぴろげた聖地であると思った。
勝亦:日高はとても良かった
中島;天気に恵まれてピリカまで順調にこなせて良かった。
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2004冬メイン 大雪湖〜白金温泉
04 12/26〜05 1/3(9−0)
L馬詰(5 AL瀧花(6 澤田(4
M澤田卓 寺尾 辻 吉田 平塚(1
12月26日 曇 林道すぐの石狩川の[石]11:10−Co1100「狩」の字15:35
しゅうさんに送ってもらい林道につくとゲートに鍵が・・・。10分ほどかかって番号を解読!****。しかし、入って1km位のところで除雪が不十分となり歩き出す。重荷に苦しみながらひたすら歩き大石狩沢手前のCo1100でC1。
27日 雪後曇 C1 5:40−Co1700ポコ8:20−石狩岳10:15−C1=C2 13:00〜13:20
C1から適当に尾根上を上がっていく。1540ポコから所々雪庇が出ている。1700ポコの下りは雪庇が発達していた。その先のコルで防寒をして1780でシーデポ。そこから上は所々尾根の分岐にストックをさして行く。デポ旗が3本ほどあった方が良い。ピーク直下は少し細い。そしてピーク。停滞もせずいきなり登れてしまった。帰りは1700のポコは南面を捲いていく。あとは途中から快調なスキーを楽しんでテン場まで。
28日 雪 C2 6:05−沼の原コル10:55−地獄谷14:00
テン場のすぐ脇を渡渉。埋まっている。1252の尾根は快調。沼の原は広く、時々風で白くなる天気だあったがカンバがあるので心強い。コルにはタンネがある。長沼を経由して地獄谷まで行く。地獄谷は木が少なくてテン場には適さない。天気が悪くしんどい一日であった。
29日 晴れ 地獄谷7:15−パンケトムラウシ左岸尾根Co1100 10:55
トムラウシ川は1050付近を橋をかけて渡渉。やはり沢が合流する上で渡渉するべきであった。トムラウシ川の支沢は埋まっていて、右岸の急斜面も1100付近を登れた。後はテン場まで美しいタンネ帯を歩く。テン場に着いてからL-sでコンタ尾根を1300まで偵察。帰りは素晴らしい斜面をスキーで楽しむ。
30日 晴れ後雪 C4 6:25−トムラウシ山10:15−C4=C5 12:45
コンタ尾根を登る。タンネ限界は1400。カンバ限界は1550。1740ポコでシーデポ。天気は朝より悪くなっているがドーム基部が見えていたのでアタック。デポ旗を打ちながら登り、頂上東端の2100ポコにあがる。途中は岩稜を捲いたり急な雪壁があったりとルートファインディングが必要。視界が50、風は気にならない程度。三角点の少し北で風が強くなってきたのでそこを頂上とする。帰りは磁石とデポ旗での行動。1740のシーデポ地点からコンタ尾根に入るのに視界がなくて苦労する。後はトレースをテン場まで。大福のあんこが凍り相当な寒さだったようだ。テン場に戻りMの指に凍傷が見つかる。
31日 曇 C5 6:55−緑雲橋12:20 C6
テン場から西沢の林道のほうに降りていく。橋を渡り990位で林道を外れ、尾根をのっこしカムイサンケナイ950へ。スノーブリッジで渡渉できた。トムラウシ温泉まではトレースがあり快調に下る。温泉手前の尾根でLのスキーが真っ二つに折れ、ツボで緑雲橋まで行く。ALと話し合い、ミニスキーを作り翌日の行動でLとして動けなければ下山する事とした。
1月1日 快晴 緑雲橋6:50−トノカリウシュベツ川の「カ」の字10:15−オプタテ南東コンタ尾根1100 12:45
テン場から台地に上がりCo800あたりをトラバースしていく。後は林道を行きオプタテ南東コンタ尾根1100のタンネ帯へ。この日は強い冬型のはずだったが快晴で十勝連峰やトムラ、石狩が全て見えた。ご来光も拝め良い新年であった。Lのミニスキーは意外に問題ないのでメイン続行とする。到着後、コルのほうへ偵察に行く。夜、同じMの指に凍傷が見つかる。程度は大したことないがオプタテのアタックは無理なのでアタックカットとする。
2日 雪 C7 10:05−1400引き返し−C7=C8 12:30
天気は上り坂との予報なので九時天をとって出発。コルへトラバースしていく。雪崩は問題ない。コル直前の沢の源頭が真っ白で視界なく、風も強いので引き返す。くやしい。
3日 曇のち雪 C8 5:50−コル7:00−林道9:30−白金温泉12:00〜13:15
低気圧の前面を使いのっこす。コルまでは一応カンバがあり白いのは昨日引き返したところだけであった。表十勝側はすぐにタンネ帯に入る。しかし、雪が多くラッセル。トラバースしつつ標高を下げポン水無川の一つ東の沢型を間違って林道へ出る。油断してしまった。後はトレースをたどり白金温泉へ。ゴール手前50mでMがコケ、顎が割れ結構な出血をしてしまった。
Party
トムラのアタック判断について:誤りであった。下り坂の天気と低温を甘く見ていて、温度計も持っていなく気温の客観的判断ができなかった。一年班のL-sとしてもっと天気判断をしっかりやるべきであり、結果としてMに凍傷を作らせてしまった。
Lのミニスキーについて:Lとして行動できるかについてかなり議論した。一旦メインを中断する案も出ていたが、できるだけ自助努力をしてメインを続行するという事で翌日の行動で続行か否かを判断する事とした。結果として、ミニスキーでもかなりの行動力があり、スノーシューよりは全然動ける。
最後の地図読みのミス:あと少しで林道であるという油断から生じた。
Mの凍傷:Mの一人に結局指に5本の軽い凍傷を作らせてしまった。沼の原ののっこしで1本、トムラのアタックで2本作った時点で気付いた。沼の原のほうは手袋に穴が開いていたためであるが、その時点で気付けばその後を防げたかもしれない。トムラは一年生には厳しい行動をさせてしまったためである。そして1本は元旦の快晴の樹林帯。毎日の行動の疲れがたまっていたためか。最後の一本はいつのものか不明。途中から常時ハンガロンにしたり厚着させて注意していたが防げなかった。
L-s:色々あったが最善の判断になるよう努めた。
M:澤田卓・良く頑張った。地図読みも良くやりL-sの判断も理由を尋ね積極的。
寺尾・良く頑張った。ラッセルはとにかく速い。
辻・良く頑張った。着実に実力をつけている。
吉田・良く頑張った。が、スキーをもっと頑張って欲しい。
平塚・頑張っていたが、生活技術や行動後術はまだまだ頑張れる。一つ一つの行動をあせらずに落ち着いてやって欲しい。
感想
馬詰:トムラの森は本当に美しかった。
瀧花:さらば大雪。さらば北の大地。
澤田:天気が良くてよかった。
平塚:いろいろ経験できた。無事でよかった。
寺尾:元旦が最高だった。
吉田:きつい時もあったけれど充実した山行だった。
澤田卓:今回のメインで今まで以上に山登りに対するやる気が起こされた。
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