
山スキー部OBの北川君と大千軒岳の沢登り記録です。先週の三連休は夏風邪で日高に行けず、せつなかった・・・。
● 2005年7月
【ルート】
知内川林道→知内川奥二股沢右股→前千軒岳→大千軒岳→夏道→知内川林道
【メンバ】
米山悟(84入部)、北川徹(山スキー部OB)
【行程】
7月23日
知内川林道→奥二股沢標高240左岸C1
7月24日
C1(6:25)→知内川奥二股沢右股→F1二段20m滝高巻き(7:25-8:00)→F2(8:40-9:40)→F3登れない滝(10:30)→前千軒岳(12:00)→千軒平(13:00)→大千軒岳(13:30-45)→夏道→奥二股出会いの車デポ(16:00)
【天候】
晴れ時々曇り
【記録】
八雲の北川君と江差線の上磯駅で待ち合わせて、道南の名峰大千軒を目指した。前千軒に上る沢ではあるけれど、山塊第一の評判の知内川奥二股沢の右股から。この山は前千軒から大千軒にかけての稜線歩きも楽しみ。
土曜日は車デポから2,3分歩いた河原で焚き火して泊まる。まあまあの薪だったが火を起こせば蚊も失せて、焼酎で星を見上げて、いつしかうたた寝する。
翌朝は冷やし中華にトマトとキュウリまで載せていただき、6時半に出発。道中記憶に残る滝は三本だ。
一本目は2段20mとその上にも一つ見えているやつ。登る人もいるらしいがこれは朝イチでファイトがわかず、左岸の草付き急斜面をどこまでも高巻く。ずるずる滑ってろくなブッシュも無く、気持ち悪い。

二本目は中段にバンドのある10mくらいの滝。右岸を行く。後半チムニー状の所をシャワー浴びて右に回り込んで突破。良いホールドはあるが、勇気が必要。ロープ出したのはここだけ。
三本目は直登不能の滝、円い窓から滝が落ちている様な形状。右岸の泥ルンゼを登って草付きをトラバースして、なんとかブッシュを繋いで抜ける。

そのほかいくつも調子よく登れる滝あり。丸窓の滝を越えると高い木は無くなり、イタドリのようなポキポキの草ばかりになる。標高690あたりで雪渓の落ち残りあり。全体に雪が多いせいか掴めるブッシュに乏しい。ハンマーバイルのピックが泥壁で威力を発揮した。

枯れ沢の行き止まりから一漕ぎヤブを漕ぐとエゾカンゾウとイブキトラノオの咲き乱れる稜線に出た。高い木が生えないため、眺望が良い。行く手の大千軒までが全部見渡せた。中千軒までは道が不明瞭で笹も高く、クマ道を行く。10mおきにクマの特大ウンコが積んである。中千軒を超えるとヤブはなくなり、天国のようなお花畑が続く。
夏道と合流してからは、登山者も多い。花を楽しみに来ているようだ。山頂につくと、沢の先行パーティーが2パーティー。足跡を見て予感はしていたが、ここでどの滝をいかに突破したかなどを情報交換した。この沢に同じ日に3パーティーは珍しいと思われる。聞いてみれば、北海道の山メーリングリストで読み憶えのある人たちだった。
帰りは樹林帯に入ってからが長く感じた。早く登れる松前側の登山道に比べ、知内側を使う人は多くは無さそうだ。キリシタン史跡もあるし、山の奥深さを味わえて、いいルートだと思う。
帰りは道内最古の温泉、知内温泉に浸かった。擦り傷、切り傷にしみる熱い湯だ。瓶牛乳を飲んで函館へ。右手の津軽海峡にはイカ釣りの漁り火がたけなわだ。
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南稜のぼる斎藤と芦別岳
芦別の夫婦岩で岩登りしてきました。花咲き乱れる良い季節です。南峰南リッジの見当違いで南東尾根を登ってしまい、継続登攀する羽目になりましたが、おもしろかったです。
かえりは三笠の高篠さん宅でごっつあんになりました。三笠ルートは長大トンネルが出来たおかげで富良野盆地への最短ルートです。今後とも突然訪問よろしくお願いします。
● 2005年6月
【ルート】
山部→旧道→ユーフレ小屋→γルンゼ→南峰南東尾根→南峰南陵→旧道下山
【メンバ】
斉藤清克(87年入部)、米山悟(84年入部)
【行程】
6月18日(晴れ)旧道登山口(14:30)→ユーフレ小屋近くC1(16:20)
6月19日(晴れ)C1(5:30)→ユーフレ本谷・γルンゼ出会い(6:20)→南東尾根取り付き標高1050m(7:30)→南東尾根標高1300mあたり→南稜取り付き標高1200m登り直し(11:00)→夫婦岩南峰(14:00-30)→旧道の沢源頭(15:15-45)→旧道→C1デポ回収(16:45)→旧道登山口(18:15)
【記録】
6月の山は雪渓が残り、雪渓の脇には花と山菜がたくさんだ。ユーフレ沢は増水してたっぷり流れていた。旧道が、沢を何度か高巻きするところは、昨年の台風のため大木にふさがれたりで荒れていた。地元の人たちが15人くらいでちょうど道をなおしていた。ユーフレ小屋は20年ぶりだ。変わらぬ佇まいだが、石室の宿命で中が暗いので、向かいの中州でツエルトを張り、焚き火して寝た。この高さではアイヌネギは少ししかない。コゴミをたくさん採ったので熱湯をかけて食べた。間もなく満月の月がでた。

朝は3時半から明るい。のんびり焚き火でラーメンを食べて出発。倒木の丸木橋で左岸に戻り、沢沿いを行く。標高670mあたりから雪渓に埋まる。足回りは軽登山靴にアイゼン。日帰り装備で軽快そうな単独行者が本谷を登っていった。γルンゼ二股からは芦別がK2のように三角に見える。γルンゼを登ってしばらく行くと右岸から雪ブロックと岩の雪崩をうける。凄い音で上を見てよけた。標高1300あたりで南東尾根に取り付く。最初僕らは南稜リッジとはこの尾根の上部だと思っていたのだ。取り付きでアイゼンを外してアイヌネギをたくさん刈り取る。
南東尾根は時々岩が出てくるがヤブこぎの割合が結構多い。それでもヤブをはさんで4ピッチ(3級以下)出して登っていくと、左側に側面を岩壁でそぎ落とされたイカした傾斜のある尾根が見える。目指す南峰南稜リッジはどうもあちらのようだ。まだ時間が間に合いそうなので、1300m辺りから急なルンゼをバックステップで降りて、そっちの方に乗り換える。地図読みを間違えたのではなく、ねらいのルートの場所を間違えていたのだ。

南峰3ピッチ目のクラック
1pめ:草付きルンゼ、40m、3級以下
2pめ:小ピナクルに出る。ヤブもあり40m、3級以下
3pめ:クラック。左側の絶壁側をとる。10m、3級+
4pめ:テラスから右へ木登りから始めるフェイス3級、40m
ガケ沿いのヤブ漕ぎ2p。途中岩ギャップ有り。50m×2
5pめ:クラックかぶり気味3級+、8m
6pめ:崖っぷちのヤブ漕ぎ、50m
全体に岩はもろい。ホールドも多いが信用ならない。僕は久しぶりの岩で、かぶりのピッチでは手がパンプした。靴は軽登山靴。3,4,5pめあたりが核心で残置ハーケンも多い。トップはほとんど斎藤。
山頂は四畳半ほどで見晴らしが良い。チョウノスケソウはじめ高山植物の最高の季節だ。視界も良く、懐かしの北芦別一帯や、雪渓を刻み込んだ芦別岳など、ながめを堪能する。両夫婦岩間のコルまで急なヤブを降りて、細いガレルンゼを懸垂。25mを三回、あとはだましだまし下ると、白樺の新緑と雪渓の、楽園のような窪地に出た。キンポウゲとアイヌネギの咲き誇る草地に雪解け水流。ここで乾いたのどを潤した。この雪田からは夫婦岩の西壁が丸見えだ。周りの緩斜面はスキー遊びにも最適だし、子供でも連れてきて滑らせておいて、大人は岩登りでもしたらよさそうだと斎藤の提案。この季節、谷は雪の廊下で埋まっているのでユーフレ谷周辺も登り放題だ。
グリセードで沢を降り、やがて旧道を下るが、雪解け水流で旧道は何カ所も浸水していた。あまりの奔流に、沢は真っ白に泡立っていた。夏至の日は長い。荷物を回収して旧道を下り、山辺の商店で牛乳を買って飲み干す。日中の乾きのせいか、いくら飲んでものどが渇く。
日の暮れた空に芦別山脈を西に見て、札幌への途上、三笠のOB高篠さん宅に寄った。白菜とハムの三つ葉スープをいただいてスキーの話など。札幌への途中風呂、ラーメンを済ませて深夜発函館行きバスに乗ると、知り合いの学生がいた。バスの客層は学生か、台湾からの学生旅行者ばかりで若々しかった。(記録・米山)
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書評
ブロードピーク(8047メートル)
マルクス・シュムック著、横川文雄訳
1964・朋文堂
2005.6.9
ブロードピークの初登攀記を札幌の古本屋で見つけた。その後の再版は見かけない新書版だ。1957年、未踏の8000m峰はあとこのブロードピークとダウラギリ、GI、シシャパンマだけに残った時分とはいえ、この遠征隊は他と違う。たった四人のハイポーター無しで、8000の未踏峰アタックを成功させている。物量を投入した大遠征隊が常識だった当時としては、信じられないくらい画期的な計画を貫徹していた。1953年のナンガパルバットでは大遠征隊で出かけながら、最終キャンプからの標高差1000m、直線距離6キロを超えるアタックをたった一人で登って帰ってきたあのヘルマン・ブールがメンバーで参加しているのがうなずける。そしてそのブールは、このブロードピークの成功のすぐ後についでに登ったチョゴリザで雪庇を踏み抜いて死んでしまった。
ヘルリコッファーの「ナンガパルバット」にも、ブール自信の書いた「八千米の上と下」にも無い、ブールの人柄がこの本には書いてある。著者で隊長のマルクス・シュムックはその後のヒマラヤ記録に見ないが、ブールはじめメンバー達の生き生きした記述が良い。
ブールと最期の山を共にした最年少隊員だったクルト・ディームベルガーの、その後の長いヒマラヤ人生の、ごく初期の活躍記録でもある。ディームベルガーはこの史上初めての8000m軽装登山を皮切りに、現代に至るまでヒマラヤを登り続けている生き字引だ。
ヘルマン・ブールに別れを告げるくだりで、彼らが歌った「カメラーデンリート」の記述があった。北大山岳部では遭難者追悼の折りに必ず歌う歌だ。他で歌っている話を知るのは初めてだ。この時代のドイツ、オーストリア登山家の間では一般的な習いだったものを山岳部が受け継いだのだろうか。
このようなわけで、今はなき良書出版社の朋文堂がわずか一瞬、新書版でのみ発売した貴重な記録を、古本屋で、たった千円で手に入れられて幸運だった。
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六月山行で北日高に行ってきました。三日目は天気が微妙だったのですが、何とかもってくれて、春メインのリベンジをすることができました。Mの海太は連日の長時間行動に耐えて頑張ってくれました。数枚の写真も一緒に載せておきます。吉田(2)
6/2〜4 六月山行 北日高 (3−0)
L見瀬(4 AL吉田(2 M海太(1
<時間とルート>
6/2 晴れ ゲート(4:20)-Co1720=C1(15:20)

ゲートの鍵が入手できず、地図上最終人家の少し先にあるゲートから歩き始める。

夏道は所々荒れている。Co800付近では水量が多く、渡渉ができなかったので高捲く。二の沢では渡渉数回。一ヶ所靴を脱いで渡渉。Co900くらいから雪渓が出てくる。

Co1100くらいで沢が雪渓で埋まる。

Co1140くらいからCo1120左岸尾根に上がる。後は尾根上を行き、額平山下Co1720の雪渓の上でC1。
6/3 曇り時々晴れ C1(4:45)-額平山(5:00)-北戸蔦別岳(5:25)-戸蔦別岳(6:50~7:00)-幌尻岳(9:05~9:10)-戸蔦別岳(11:10~11:30)-北戸蔦別岳(12:40~13:00)-C1(13:40)

北戸蔦別まで雪渓をつなぎながら行く。

戸蔦別までの途中の岩稜状の所は、雪もなく、夏道はっきりしており問題ない。

幌尻の肩に上がる所の岩まじりの急斜面も、雪がなく、ザイル出す必要なし。

帰ってきてから、額平山直下に良いテン場を見つけたので、テン場を50mほど上げた。
6/4 霧雨 C2(4:45)-北戸蔦別岳(5:30~5:45)-1940(8:30~8:55)-ピパイロ岳(10:00~10:30)-伏見岳(12:45~13:10)-小屋(15:00)

霧雨が降っていたが視界あったので、雨具を着て出発。上部はガスっており、北戸蔦別で視界100。

1940手前は細いところが長く続く。雪がついていたらいやらしいだろう。ピパイロ途中の岩稜上は夏道はっきりしており問題ない。

伏見の下りは雪がべったりついており、視界ないと迷いそう。

小屋まで車をまわしていたので、小屋で下山。
<パーティー>

L:問題なし AL:前歩けた。Rf、口出しもっと頑張れる M:諸動作。頑張って歩いた
<感想>
L)リベンジできて良かった。
AL)貫徹できてうれしかった。最後の下りは足にきた。
M)大変だった。焚き火惜しかった。
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●2005年5月28日~29日
●比良山登山

今回は相田さんの計らいで、琵琶湖畔のリゾートマンションで一泊し、翌日比良山の最高峰に登るという計画。関西支部で山登りをするのは何年振りなのだろうか。
報告:岸本
参加者:相田支部長、高橋(昭)、伏見、岡島(本人、奥さん、子供2名)、高橋(龍)の各氏と岸本
5月28日午後3時、天気よし。会員が三々五々ヴェルドール琵琶湖リゾ−トに集合し,そのまま湖畔に繰り出す。白砂青松(但し潮の香りはない)人影極少。対岸にうっすらと沖ノ島の島影を望み、背後の比良山に夕日が傾く頃、炭火をおこしBBQの始まり。箸の動き、杯の傾き、簡単な自己紹介はいつもの如く。ただ、岡島一家の小学生の女の子2人が水辺でキャ−キャ−騒いだり、お母さんの横で黙々とサラダ作りを手伝ったりするのが目新しい。
暮れなずむ頃、支部長が辺りに散らばる松の枝木を急速に炭化させるゾと下命。その明りのなか、時にハモり、たまにがなり、肩を組み、親しんだ歌が出ていつしか辺りは闇。リゾートマンションに戻りもう少し談笑して、12時頃就寝。
29日朝食後、車に分乗し出発。途中のコンビニで昼食の弁当を確保し、高橋(昭)さん、伏見さんとはここでお別れ。
比良山系の琵琶湖側(東側)は、概ね300M付近から1000Mくらいまでがかなり急だが、それより上の頂き付近はおだやか。従ってきつい登りで二日酔いの体を絞り切り、後ははるか下の琵琶湖を渡ってきたそよ風を受け、散歩がてらに頂上を目指すという、優雅な登山ができます。
9:15比良山登山口駐車場発、依然天気よし。12:20武奈岳頂上(1214.4M)着。背負ってきた弁当はおにぎり、焼き魚、新香が渾然と一体化しピラフもどきになっていた。しんがりを黙々と務めてくれた高橋(龍)君は、久しぶりの登山だとのこと。岡島君共々家庭と会社でもみくちゃにされる年代だものなあ。軽くなった体で15:15登山口着。差し入れしてもらったスイカを大口開けてかぶりつく。かくしてたっぷりと半日かけた頂上往復正統派登山を終える。
今度は月見にベストな折にでもまた集まりましょう、ということで会員達は来たときと同じように三々五々に解散。
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またまたたどおかなおきです。
先週,現役に召喚されてしまい2年半ぶりに空沼小屋行ってきました。

去年の18号の影響が空沼にも及んでいました。
あからさまに昔よりも床が傾いていました。
壁の隙間もあからさま。もう手遅れなんでしょうかね。。。
それにしても1年目1人,2年目4人にぼく(7年目)と,寂しい空沼開きでした。
理由はどうあれ上の年目はしっかりしてほしいです。
以下,少々写真をアップします。

滝も埋まっていました。

沼は変わらず(?)

小屋の中もぱっと見変わらず

しかしこう見ると傾いているのが分かる。

まきわり
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99年入部のたどおかなおきです。
遅くなりましたが,GWの現役春合宿の写真を投稿します。
うまく出来なかったらごめんなさい。
行動中は真っ白であんまし撮れなかったのと,
二日目はデジカメの調子がいまいちうだったのでいまいちです。
とりあえず集合写真で雰囲気つかんでくれたらうれしいっす。

林道から尾根に入るところで休憩。
初めての経験に一年目はやられ気味。

三日目のアタック。結局引き返してスキー練でした。
ぼくのザックに寝ゲロったげろっぱ君は一日中死にそうな顔してました。

がすがすです。

3日目終了後に集合写真とりました。

今年の一年目。粒ぞろいで期待です。
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巻機山(1967m)
●2005年5月8日(日) (1ー0)
【ルート】
米子橋→(井戸尾根)→巻機山→ヌクビ沢スキー大滑降(標高差1100m)→米子橋
【メンバ】
L:山森聡(86入部)、M:清野啓介(76入部)、石橋岳志(82入部)、石川守(87入部)
【行程】
5月7日(土) (雨) 米子橋C0(16:00-22:00まで、テントで大宴会)
5月8日(日) (晴) C0(5:40)→ニセ巻機山の先のコル(10:00-30)→巻機山(11:00)→割引沢Co850二股(11:50-12:30)→米子橋(13:10)
【記録】
いよいよ、GWを締めくくる山行だ。当初、宝川温泉〜朝日岳の計画であったが、清野さんの5/5偵察結果や、5/7の雨(予報)の増水による、宝川渡渉のリスクを考慮し、計画を、朝日岳から巻機山に変更した。
5月7日は、清水の集落から、米子橋まで歩いてC1の予定であったが、米子橋まで除雪が入っていたので、駐車場でCOとする。雨も降っているので、早々とテントの中で大宴会。テントは石川ヤンケがモンゴルでの調査の仕事で使っているという、4〜5人用のドームテント。広くて快適だ。清野さんと石橋さんと山森/石川と、3世代に渡り、現役時代は重複して在籍したことはないのに、Roomの話で盛り上がれるのは、AACHの良き伝統だと思う。
5月8日は、4:00AM起床。天気は晴れ。5:40に出発する。井戸の壁と呼ばれる急なところでは、夏道を見つけられず、わずかに雪のつながっている雪壁をけりこんで登るが、雪が硬く緊張する。アイゼン・ピッケルがあれば何でもないのだが、結構消耗した。
その上に出ると、スキーをはいて登っていける。いつのまにか、下界は雲海で、雲上人となって、井戸尾根を登っていく。いい気持ちだ。尾根の右手の滑降予定の米子沢を見ると、大滝が口を開いている。アイゼン・ピッケルがあれば左岸を巻けそうだが、持っていないので、米子沢のスキー滑降は断念する。
ニセ巻機山と巻機山のコルで大休止。避難小屋は、完全に雪に埋まっているようだ。他の登山者も何パーティか登ってきた。
巻機山頂上は、風が強く、早々に下山することにする。米子沢がダメな場合の予備ルートとして計画していた、ヌクビ沢の源頭へ向かう。
ヌクビ沢のスキーは、楽しかった。清野さんのスキーはうまい、かっこいい。石橋兄はテレマークで優雅な滑りだ。石川ヤンケと私のスキーは、本当に上達したと思う。現役時代の2人を知る人は、信じられないと思うが、本当に上達したのだ。沢の途中は、やはり雪崩が心配なので、休まずにアッというまに高度を下げる。いよいよ、安全地帯に着いて、私が地図と周りの地形を見て、現在地の確認をしていると、石橋兄が、地図も見ないで「ここは、コンタ850mだね」とつぶやいている。どこかに看板でもあって、標高でも書いてあるのかと驚いていると、答えは、石橋兄の高度計つきの腕時計だった。高度計は清野さんも持っているという。さては、次に買うべき装備は高度計か?
ここから少し滑ると沢の口が開いていたので、シートラして左岸の台地にあがって、少し歩くと、米子橋に着いた。越後湯沢の町営温泉山の湯(300円)で、汗を流した。
また、来年もこのメンバでスキー山行をすることを誓いあった。沢登りにも行こうということになった。楽しみだ。
(文責:山森聡)

井戸尾根を登る清野さん

井戸尾根を登る石川さん

巻機山山頂にて!(左から山森、石川、石橋、清野)

石川さんもスキーは上達したね!

清野さんのスキーはうまい! かっこいい!

石橋さんはテレマーク!

ひと滑りのあとのビールはうまいぜ!
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至仏山(2228.1m)
●2005年5月4日(水・祝) (1ー0)
【ルート】
鳩待峠→小至仏山(東面をトラバース)→至仏山→ムジナ沢スキー大滑降(標高差800m)→山ノ鼻→鳩待峠
【メンバ】
山森聡(86入部):単独行
【行程】
5月4日(水・祝) (快晴) 鳩待峠(8:10)→至仏山(11:30-12:10)→山ノ鼻(13:00-13:15)→鳩待峠(15:00)
【記録】
尾瀬に来るのは、1999年のGWに、斎藤清克(87入部)と2人で、御池〜燧ケ岳へスキー山行して以来、2回目である。あのとき、燧ケ岳山頂からみた、眼下に広がる尾瀬ヶ原とその先の至仏山の絶景が想い出される。至仏山へ行くのはGWのタイミングがベストである。なぜなら、GW前だと、鳩待峠までの除雪がされておらず、戸倉から歩くはめになる。GWを過ぎると、鳩待峠はマイカー規制となる。これは戸倉から乗合バスをのれば済む話であるが、至仏山そのものが、高山植物の保護のために、入山規制(登山禁止)になってしまうらしい。
鳩待峠に自家用車を停め、スキーの裏にシールを貼り付けて歩き出す。天気は昨日に引き続き快晴。登山者も多く、単独行の不安はない。至仏山頂上まで、しっかりトレースがついている。途中からは、右手に尾瀬ヶ原とその先の燧ケ岳を見下ろしながら、緩やかな傾斜をスキーで登って行く。小至仏山は、東面をトラバースして巻く。
至仏山の山頂は、絶景である。尾瀬ヶ原〜燧ケ岳方面はもちろんだが、西側の利根川源流をとりまく白い山並みの景色は、本当に見事である。しっかりと目に焼き付ける。
ムジナ沢の滑降は、コースを良く選ばないと、途中ハイマツ漕ぎを強いられる。先行トレースを滑って行ったら、途中、ハイマツで雪が切れていることがわかったので、少しもどって、かろうじて雪がつながっているただ一箇所のところを、滑り降りる。沢の途中でトレースに従って、右岸側の尾根に上がって、山ノ鼻に滑り着いた。何件かある山小屋はいずれも営業しているようだ。テントもざっと十数張りはあるだろう。今回はムジナ沢を一本滑っただけだが、山ノ鼻をベースに、ワル沢など何本か滑りにきている人も多いようだ。私の印象では、ハイマツの出ているムジナ沢よりも、真っ白なワル沢の方が、スキーは快調そうだ。もし、また来ることがあれば、ワル沢を滑ることにしよう。但し、途中で左岸の尾根に上がって山ノ鼻を目指さないと、沢の渡渉が大変そうだ。
山ノ鼻から鳩待峠までは、前半の平地は、シールをつけずにかかとを開放してスキーで歩く。後半の登りはシールをつけて登った。この区間は、登山者だけでなく、スノーシューで尾瀬ヶ原を散策しているパーティなど、いろいろなジャンルの人に会った。
戸倉で一風呂浴びる前に、車で大清水というところに行ってみる。ちょっとした湿原があり、水芭蕉の花が咲いている。夢みて咲いている水のほとり。アイヌネギ(行者にんにく)が売っていたので、現役時代の山行を想い出し、なつかしくなったので、土産に買った。戸倉で温泉(尾瀬展望の湯ふきあげ、500円)に入り、沼田で清野さん(76入部)に挨拶して、横浜の自宅へと帰った。
シートラばかりしていた印象のある谷川岳と違い、尾瀬・至仏山は、一度もシートラすることもなく、登りに下りに平地にと、新調したばかりのスキーをフルに活用できて、景色といい、温泉といい、大満足であった。
(文責:山森聡)

至仏山をバックに!

至仏山山頂にて!

至仏山山頂の眺望、尾瀬ヶ原まで大滑降した!

ムジナ沢滑降途中の風景!

尾瀬ヶ原の風景!

大清水では、水芭蕉が夢みて咲いていた!
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谷川岳(1963.2m)、一ノ倉岳(1974.2m)
●2005年5月3日(火・祝) (1ー0)
【ルート】
天神平→谷川岳→一ノ倉岳→芝倉沢スキー大滑降(標高差1200m)→虹芝寮→湯檜曽川右岸(新道)→土合橋
【メンバ】
山森聡(86入部):単独行
【行程】
5月3日(火・祝) (快晴) 天神平(9:30)→熊穴沢ノ頭(10:15)→Co1640m天狗ノ溜り場(11:00)→谷川岳トマの耳(12:00-15)→一ノ倉岳(14:00-10)→虹芝寮(14:50)→土合橋(16:20)
【記録】
山スキー用具一式を新調し、安達太良山スキー山行で火がついた私は、谷川岳に初の山スキー単独行に出かけることにした。会社のスキー部の合宿のため滞在していた野沢温泉の民宿を早朝出発し、ロープウェイとリフトを乗り継いで入山。
シールをつけて30分程スキーで歩くが、夏道上の身長位の岩の段差を降りる箇所があり、そこでシートラ。以後、夏道と雪の上を半々の感じでシートラのまま進む。Co1640mの天狗ノ溜り場から先は、雪の斜面となるが、ツボのトレースを登った方が楽そうなので、シートラのまま、谷川岳(トマの耳)山頂へ。快晴で景色がすばらしい。ここまでは、登山者も大勢いる。
一ノ倉岳までの稜線は、完全に夏道歩きだ。ちょっとした岩の段差が沢山あり、シートラして兼用靴では、歩きにくい。この稜線では、誰にも会わない。
いよいよ、一ノ倉岳山頂から芝倉沢の大滑降だ! 周りには、誰も人がいない。スキーの先行シュプールも2本しかない。Co1100mの屈曲点までの標高差800mを、気持ちよくターンを刻んでいく。景色もすばらしい。
Co1100mの屈曲点は泥まみれのデブリで埋まっており、スキーを脱いで、手で持って通過。以後、湯檜曽川の出合(虹芝寮)までは、ところどころデブリがあり、その度にスキーを脱いで通過する。芝倉沢滑降中にアイゼン・ピッケルで登高中の2パーティとすれ違う。
虹芝寮から湯檜曽川右岸の新道は、雪はついているが、流木や石ころがごろごろしている。傾斜も
ないので、スキーは滑らない。最初はスキーをはいて頑張ったが、不快調なので、途中でシートラ。
土合橋で荷物をデポし、空身でロープウエイ駅の駐車場まで自動車を取りに行く。
妻に下山連絡をして、谷川温泉の湯テルメ(水上町営、500円)で入浴!
快晴のもと、すばらしい眺望とスキーと温泉に大満足の1日であった。
(文責:山森聡)

天神平から谷川岳を望む!

谷川岳をバックに!

谷川岳山頂にて!

一ノ倉岳から見ると、谷川岳が双耳峰なことが良くわかる。奥からトマの耳とオキの耳!

一ノ倉岳山頂=芝倉沢源頭部の眺望! ここから谷底まで大滑降した!

芝倉沢源頭から見た茂倉岳!
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