
【ルート】岬町〜硫黄山〜知床岳〜知床岬〜相泊
【年月日】2008年3月18ー24日(7ー0)
【メンバー】L白石(7 AL澤田(4 M小池 田中 野沢(1
【感想】
白石:充実した山行だった。Roomでメインが出せてうれしく思います。
澤田:現役最後のメイン、貫徹! パーティのみんな、お酒さん、ありがとう!
小池:非常に疲れました。やばかったス(特に2日目)。神秘的な岬が見れて良かった。
田中:流氷ロックと岩海苔がうまかった。いいメインでした。
野沢:山もいいけど海も最高でした。
【時間とルート】
3月17日 札幌ー岬町;知円別小学校=C0 L-sはバスで、Mは野沢の車で羅臼に集合した。校長先生にお願いして車を小学校にとめさせて頂いた。創立70周年にして、今年廃校になるという。
18日 ○ C0 4:30/6:50‐11:30 Co.900=Ω15時よりすでにテントの外は明るく、春メインと同時に知床という東方に来たと実感した。小学校裏から入山し尾根をのぼる。振り返ると、海岸から流氷までの沖合いに船が出漁していた。流氷の向こうには国後島がある。Co.900にイグルーを作ってΩ1とした。ケンネベツ川の谷間をワタリガラスが不思議な声で鳴きながら飛んでいった。
19日 ○ Ω1 4:00/5:50 - 7:10 Co.1350=シーデポ 7:30 - 9:10硫黄山 9:20 - 11:10 デポ地 11:20 - 16:00 ルシャ二股=C2

今日も天気は良く、移動Hが来ているうちにと、ルシャ二股まで行く予定で出発する。Co.1350付近で共同装備とスキーをデポし、Eストックで知円別分岐まで歩いた。ここからE.P.で進み、途中の岩峰は西側をまいた。田中は何度か足を滑らせ、ヒヤッとさせられる。硫黄山は西側からまわりこんで頂上へ。オホーツク海側は流氷にビッシリと覆われていた。まわりこんだ箇所はB.S.で下った。Mはネーベンを2つ食べられることに喜んでいた。荷物を回収してシーズリでCo.1350付近をtrv.し、ルシャ山を目指す。山頂で部歌をほぼ独唱し、OB方に黙祷をした。今年も積雪が少ないためか、ハイマツが尾根を覆っており、シールで踏んだりこいだりしながら前進。Co.500付近から適当な沢型を二股まで下った。


硫黄山ピークから知床岳を望む。まだまだ先は長いように感じられていた。
20日 ◎のち○ C2 5:00/7:10 - 14:30 Co.862北コル=C3昨日の行動でM達が疲れていたため、朝はゆっくりと出発。Co.160の沢型からルシャ川の左股右岸尾根を経て、ラサ山コンタ尾根を登った。Co.720ポコの下りでツボにした以外、すべてシールで歩けた。タンネの下にテントを張ってC3。焚火をし、暗くなるまでのんびりした。
21日 ○ C3 3:30/6:00 - 9:10 1182西コル - 9:45知床岳 9:50 - 10:10 西コル 10:25 - 15:45 ウィーヌプリ南ポコ南コル=C4

天場からシーズリをしていくが、ハイマツ帯がうるさい。田中は靴擦れがひどく、痛そうだ。谷間にはガスがゆっくりと上がってきていたが、まだ晴れ間は続いていた。・1182西コルに荷物とスキーをデポし、知床岳を空身で往復した。コルからポロモイ台地に降りるまではシーズリで歩いた。ポロモイから先の尾根はクラストしているがシールで下った。コルはタンネが太く快適。P食が盛大に出された。夜中、キツネがテントを破ってラーメンを2袋持ち去った。
22日 ◎ C4 3:30/5:45 - 10:10 知床岬 11:10 -15:30 カブト岩南の入り江=C5

ハイマツが非常にうっとうしいので、ウィーヌプリより先は北側の沢型にルートをとって岬を目指すことにした。上部はシーズリ・ツボで沢底まで下り、そこからシールに変えた。段々と傾斜がなくなって、ウミネコの鳴き声に海岸が近いことが分かった。Co.200付近をtrv.して岬を目指した。雪はなく、笹原をシールであるいて岬に到達。今後天気が悪化することを考え、ウィーヌプリを再び乗越すより、下調べもしてあり、干潮の時間もちょうど合う海岸線を歩くこと方が安全で早いと判断し、ルートを変更して先へ進めた。カブト岩はルンゼを登下降して通過した。登りにfix有り。降り立った入り江には番屋があり、そこでC5。
23日 ◎ C5 2:30/4:50 - 12:45 モレイウシ川河口 13:00 -15:45 化石浜=C6

干潮時に化石浜南を通過すべく、早起きして出発。前日偵察しておいた念仏岩の登りは立った5m程度をMは空身で通過させた。下りは10mほど、木を支点にしてab.し、そこから斜面を捲き道沿いに下った。登り下りともfixがあった。ペキンの鼻手前のルンゼを詰めて尾根まで登った。ルンゼは傾斜あり緊張するが、雪が安定していたのでロープは出さなかった。台地上を横断し、ルンゼを下って海岸へ。船泊のへつりは問題なく、むしろメガネ岩手前がいやらしい。M空身で通過させた。干潮のピークは過ぎていたが、剣岩周辺は潮間帯がまだ出ており、歩いて通過。岩のりがたくさんあり、皆でむしゃむしゃ食べた。疲れたM達の冷たい視線を感じつつモイレウシ川(予定天場)を通過。

タケノコの岬状は穴があり、くぐって通過。そこからは巨岩帯になっており、くぐったりまいたりで化石浜へ。番屋でC6。流氷のオンザロックを飲んで就寝した。夜中、外に出ようとした小池を熊と勘違いし、野沢は周りをたたき散らした。
24日 ● C6 4:00/6:10 - 11:00 相泊 インナーとの間に漬物袋をはいて出発。化石浜南の入り江は、干潮によって出てきた岩を転石のようにして通過した。そこから少し行った小浜の南端はM空身でへつった。浜で休憩していると、アザラシがニュウと海面から顔を出した。観音岩は一部b.s.して下った。あとは小雨に追われるようにして相泊まで。
【パーティ】
L-s; 白石:特になし 澤田:ストック紛失
`M; 小池:特になし 田中:コッフェル忘れ、滑落未遂 野沢:特になし
【準備山行】
1回目 2/9〜11 羊蹄山 比羅夫〜真狩(3-0)シートラ、乗越し、イグルー
2回目 2/24 E赤岩(1-0)海岸歩き
3回目 3/1〜2 積丹乗越し(2-0)イグルー、乗越し
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先々週の支湧別の写真が現像上がってスキャンしたのでアップしますo(^o^)o
そして試験場で一番忙しいと言われる課に4月から移籍しアップアップしてます(>_<)


後の写真は
HPから。
重いときは直で
こちら
●2008年3月22日〜23日(2-0)
【ルート】トムラウシ温泉→トムラウシ山(往復)
【メンバ】田中健太郎(1987入部)
【行程】
3月22日(晴)トムラウシ温泉(12:00)→夏道→・1143→Co1160 C1(15:30)
3月23日(晴)C1(5:40)→カムイサンケナイ川右岸の尾根→トラバース開始Co1450(7:00-20)→カムイサンケナイ川Co1450(7:55)→夏道の沢側の右岸の尾根(1600の尾根)→Co1830(9:20)→Co1930シーデポ(10:15)→トムラウシ山(11:00-20)→シーデポ地点(11:45-12:10)→C1(13:45-14:45)→トムラウシ温泉(17:15)
トムラウシ温泉から、ほぼ夏道ルートをトムラウシ山を往復しました。スキーは期待していたほど、快調ではなかった。
カムイサンケナイ川右岸尾根Co1400あたりからのトムラウシ山
【記録】
3/22(土)晴れ 前夜は飲み会が有った為、22日(土)の朝に札幌を出た。トムラウシ温泉脇の登山口から歩き始める。スキーは最初担いでいたが、5分ほどでスキーで歩けるようになる。夏道とおぼしきルートを適当に登るが、雪はぐさぐさで急斜面はずるずると雪面が崩れて登りにくいが、Co900の台地に上がると歩きやすくなった。気温は高く、GWの様だ。・1143を過ぎたところでC1とした。樹林限界はCo1200ほどで、快調な天場だった。
3/23(日)晴れ C1からしばらくは夏道ルートを登るが、カムイサンケナイ川右岸尾根に乗ると、そのまま尾根を登ってCo1450からトラバースを開始して川底へ下りた。傾斜はきつく、途中2箇所ほどちょっとやばい雪面をトラバースすることになった。もう少し下の方をTrするべきだった。川底からは夏道の沢形の右岸にあるゆるい尾根形を登った。最初は傾斜はゆるかったが、上部はかなりきつくなり、クトーを利かせて登る。登りきったところがCo1830で、ここでトムラウシ山周辺の視界が開け、頂上まであと少しという気になる。天気は良いのでのんびりと歩き、途中でシーデポして頂上へ。頂上周辺だけトレースが数多く残っていた。ここはどこでもどうにでも登れる。下りはCo1830からカムイサンケナイ川の川底までが、この山行のメインのスキー滑降箇所であるが、このところの異常なまでの気温の高さであること、南面で朝からずっと日に当たっている急斜面であることから、雪崩が気になるので、多少傾斜がゆるくなる夏道の沢形を滑った。ほとんどザラメに近い雪質で快調に滑れた。川底から右岸尾根への登り返しは、行きより少し下からトラバースを開始し、途中でシールを付けた。右岸尾根からC1までは非常に快適なスキーを楽しむが、C1から下はぐさぐさな雪質だけでなく、スキーでもいきなり膝ぐらいまではまってしまう“落とし穴”が続出し、非常に危険な状態だったので、途中でシールを付けた。ヘロヘロでトムラウシ温泉に下山した後は、飛び込みで宿泊して疲れを癒した。
Co1160の天場の様子。テントは昨年から愛用しているカマボコ型テント(チューブテント)。
今回の山行の核心とも言える、カムイサンケナイ川からの登り。中央の沢形が夏道のルートとなっている。今回はその右岸の尾根状を登り、夏道ルートを滑り降りた。急斜面なので、雪崩への警戒が必要。
その急斜面を登りきると、向こう側の視界が広がっていて、トムラウシ山が目前にせまる。
トムラウシ山頂にて、ミニ三脚で記念撮影。バックは大雪。
頂上から見た裏十勝の様子。
帰りの急斜面の滑降。ザラメに近い雪質で滑りは快適だが、雪崩が少々気になるので、さっさと下りたくなる。
さらにその下の様子。ここまで来ると傾斜がゆるくなり、気が楽になる。
下山後に思わず泊まってしまった東大雪荘。
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●2008年3月20日(1-0)
【ルート】白金温泉→美瑛富士(往復)
【メンバ】田中健太郎(1987入部)
【行程】
3月20日(晴→ガス→晴)白金温泉近く(5:30)→両泉橋→美瑛富士(12:00)→両泉橋→白金温泉近く(14:00)
ガスの中、美瑛富士を登ってきました。後でGPSを確認すると、頂上まで届いておりませんでした。
美瑛富士
【記録】
除雪は、十勝岳火山観測所の近くの林道入り口まで。ここでCoして朝歩き始めた。両泉橋の近くに美瑛富士の登山口なる立て標があり、そこから樹林帯内に入る。現役時代に美瑛富士に登る時は登山道どうりに避難小屋の方へ廻り込む様にして登っていたが、今回は登山口から南西へ頂上まで真っ直ぐ目指して登った。樹林限界はCo1200。Co1600あたりまでは快調に登れるが、そこから上は岩(岩礫?)が出ていて、スキーでの登り下りは不快調。今回はがんばってCo1860までスキーで登ったが、下りはCo1670までスキーを持って下った。そこから下は快調に滑れた。天候は晴れのちガスのち晴れ。頂上付近はガスの中で、帰宅後GPSを確認すると本当の頂上より手前のポコで引き返していた。記録はCo1887m、高度にして1m足りなかった。
Co1200あたりの樹林限界の少し上の様子。美瑛富士はガスの中。
ガスが1時間ほどの間だけ消えた。Co1400あたりから。Co1500〜1600位まではきれいな雪面だが、その上は大小の岩が出ていて、スキーで登るのも下るのもしづらい。さっさとシーデポした方が良かった。傾斜は美瑛岳とそれほど変わらない。
下山後に表示を確認したところ、望岳台まで自動車で上がれる様になるのは、4月22日以後の様です。
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●2008年3月8日(1-0)
【ルート】喜茂別→羊蹄山(往復)
【メンバ】田中健太郎(1987入部)
【行程】
3月8日(晴→ガス・風)喜茂別ルート登山口(7:40)→羊蹄山(13:45〜14:07)→登山口(16:12)
【記録】
春山シーズンの足馴らしに、昨年と同じく、羊蹄山の喜茂別ルートを往復してきた。
私とほぼ同じ頃に登りだしたパーティのCo1530あたりの様子。Co1500あたりでシートラし、スキー(クトー)で登ることにこだわる私をどんどんと引き離していった。頂上では30分くらいは先に着いたのでは。
パーティから一人遅れている80過ぎのおじいちゃん。冬の羊蹄山に350回以上は登っていると豪語していました。Co1770あたりの様子。この頃から風が強く吹くようになり、時々耐えるために立ち止まらないといけなくなった。あくまでもスキーにこだわる私は、このおじいちゃんにも抜かれました。
おじいちゃんが登ってくるところを上から撮った写真。羊蹄山の傾斜と高度感が分かる。
頂上からの、先に下りていったパーティのシュプール。おじいちゃんたちは上手に滑って下りていきましたが、クラストしていてかなり滑りにくい雪質で、私は斜滑降、横滑り、キックターンとシュテムターンで何とか下りてこれたという感じでした。
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乙妻山(2,318m)

●2008年3月30日(日) (1-0)
【ルート】
戸隠大橋=佐渡山のコル=水沢川上流部=乙妻山
【メンバ】
L:石橋兄(aach1982)、M:清原(aach1986)
【行程】2008年3月30日(日)晴れ→曇り→小雪
戸隠大橋5:40→佐渡山のコル7:00頃→水沢川左岸Co1,430付近9:00頃→乙妻山山頂12:00〜:20→水沢川左岸Co1,430付近13:00頃→佐渡山のコル14:00頃→戸隠大橋15:00前
【地図】2.5万分の1 高妻山
前日の晩、清原の単身赴任先に石橋兄がやって来て二人で鍋をつつく。
当日は3:30起床。まだ暗い中、戸隠大橋を目指すもやはりまだ暗い。ラテルネをつけながら歩く気がしないので暫く車中待機としたが二人とも寝てしまい、結局歩き始めは5:40。既に明るくなっていた。


歩き始めは黒姫山にうっすらと雲がかかていたが次第に日が射してきた。

水沢川上流部からみた高妻山。青い空に白い峰が映える。

妙高も見える。

そして今日のお目当て、乙妻山の北東斜面。本当は2月頃のパウダーを狙いたいところだがやっと巡ってきたこの機会を大切にとピークを目指す。

妙高を背に登る石橋兄。天気が良いため汗だくになり、シールに雪もつく。まるで拷問の様だががんばって高みを目指す。

が、頂上が近づくにつれ雲が湧いてきた。さっきまで見えていた頸城の山々があれよという間に雲の中。残念。

乙妻山の頂上での記念撮影。背後には先月加入した山スキー同人のパーティで行った北小谷の山々が見える。

山頂で拷問スキーを手に取る石橋兄。さあ、拷問から解放されて念願の斜面に。

頸城の山を横目にみながら滑降。意外にもちょっと重めだがパウダー。この時期にパウダーが楽しめるとは思いもよらなかった。

清原の後に続く石橋兄。楽しいの一言に尽きる。

さすが名高い山スキールート。良い斜面が続く。2月の深雪を味わいにもう一度きたくなった。
下山後はやはりお決まりの温泉。戸隠中社の奥にある"戸隠神告げ温泉"で汗を流し、名物"戸隠そば"を食べ帰路についた。
記録:きよはら@ながの(単身赴任)
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【年月日】2008年3月23日
【ルート】除雪終点→塩谷丸山往復
【メンバ】石川やんけ(87)
【時 間】除雪終点(8:30)→ピーク(10:30/10:50)→除雪終点(11:30)
スカッ晴れのもと、足慣らしで小樽西部の塩谷丸山に登った。
ピークから見えた白い積丹に行きたくなりました。
午前中に下山し、午後は仕事に戻りました。
今年は雪解けが早く、春山シーズンが短くなりそう・・・
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【年月日】2008年3月22-23日
【ルート】十八線沢→稜線西側経由、中岳往復
【メンバ】米山悟(84)、斎藤清克(87)
【時 間】3/22:十八線沢入り口溜池マーク(12:40)→Co490渡渉点(13:40)→槙柏山コル付近(15:50)
3/23:C1(6:00)→国境の御茶々南コル(7:00)→シーデポのポコ(8:00)→中岳山頂(9:30-10:00)→C1(12:00-13:00)→駐車所(13:50)
夕張山地の国境稜線の西列には、尖った格好いいピークが並んでいる。道内屈指のマイナーピーク帯ではないだろうか。その中の最高峰の1493m峰をアタックした。地形図に名は無いが、中岳あるいは鋒ヶ峰とよばれているようだ。夫婦岩分岐あたりから二キロ西にある山。
【記 録】
十八線沢の入り口、溜池マークのところに車を置き林道を行く。十八線沢林道は平成年間に砂防堰堤がずらずら増えていた。林道は490mの渡渉点の先へもしばらく伸びていた。十八線沢の思い出はいつも厳冬期ばかりで、新雪と倒木のラッセルで苦しんだ気がするが、この季節は明るくゆるく良い沢だ。谷が広いので午後の西日がずっと顔に当たっていた。気温は4月中旬並みとのこと。

ユーフレ谷岩稜群と夫婦岩を見晴らすタンネの森で焚き火。気温も高いのでツエルトだけ。イグルーの必要を感じなかった。火炎で炊く白飯はうまい。マーボー丼にはパック豆腐と葱たくさん。日が暮れると夫婦岩の背にオリオンの星が並び、パラマウント映画のオープンタイトルみたいだ。満月が終夜森を照らした。もし明日の天気が悪いなら、この月明かりでアタックも出来る。

雪が硬い朝のうちに距離を稼ごうと出発。シーアイゼンが良く効く。タンネの森を抜け国境稜線へ。
西列の鋭鋒群がずらりと目に入る。未踏峰(僕たちのね)の宝庫だ。ここから中岳の間に広がる幅500m、長さ2キロほどのタンネの盆地の雰囲気なども最高だ。地図には沼やくぼ地の記号もある。ちょうど夕顔棚のような高い雲が東の空にかかり、好天なのに日差しが無くてラッキーだ。たまに日が差せば目が眩み、喉の渇きでスピードも落ちる。

すぐに盆地に降りないで、夫婦岩の向かい1260まで稜線を行き、そこからゆるゆるとトラバースして標高点1298で中岳への東西尾根に乗る。1330mのポコでシーデポ。その先に細くて急な数メートルがあった。最後の標高差200mの登りは上から下まで傾斜45度。ラッセルが膝までで、雪も安定していたので高速で登り切ったが、降雪直後など、不安定な状態ではやばい斜面。迂回路もなさそうだ。アイゼンは使わず。

山頂は雪稜の先の狭くて良いところ。遠く樽前からピッシリまで見える。主稜線から外れた山頂は、良い展望台になる。北の峰から夕張岳まで、昔スキーで辿った全ての山頂が横並びに見える。西列の鋭鋒群も美しい。北には小天狗中天狗、南にはシューパロ岳、1415峰に夕張前岳。

くだりはすごい高度感だ。硬かったら前を向いては下れない。シリセードも躊躇する。東西尾根を戻るころ、あのタンネの美しい盆地の中を、どこから来たのかスノーモービルが5,6台来て、乗り回して遊んでいた。

シーデポのポコからタンネの広い盆地にスキーで滑降。雪質は半分ザラメで引っかかるがこの大斜面を独占する気分はいい。枝振りの良いタンネなどを鑑賞しながら盆地をほげほげ横断して、御茶々岳南の最低コルから国境稜線に戻り、C1へ。

喉の渇く季節になった。紅茶を沸かしてのんびりしてから十八線沢を滑り降りる。多少藪もあるが快適に下れる。2人とも20年近く替えていない板と革靴だ。斎藤のジャンプターンは衰えを知らず、この引っ掛かる雪で幅の狭いヤブの回廊をすいすい減速させて降りていく。渡渉点まで20分、駐車所まで1時間足らずで下ってしまった。
夕方から用事があったので、風呂も飯も抜きで札幌目指す。富良野のコンビニで牛乳500mlをイッキする。三笠の高篠OB宅にちょっとあいさつに寄ったけれども留守だった。
「あれからちょうど20年経ちました」というあるニュースをラジオで聞いた。そのニュース、雪洞の中のラジオで聞いた覚えがあり、記録を見てみたら、ちょうどピパイロ岳の穴の中あたりだった。やはり斎藤とのパーティーだ。
http://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-21367.htmlその春は、国鉄解体、青函トンネル開通、といろいろあって、昭和最後の変わり目の年だった。
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【ルート】大滝村支湧別から往復(夏道の尾根)
【年月日】2008/03/20-21(2-0)
【メンバ】田戸岡なおき(’99入部)
金曜日に無理やり休みをぶち込んでの4連休。8年前のリベンジを果たしに,武利岳北面からのアタックに向かった。。。が,甘かった(>_<)
3月20日 曇り後晴れ
3時半起きで4時過ぎに出発。なまら眠い。途中高速(無料の)で中央分離帯に擦りそうになる。白滝村で下りて,24時間使用可能な開発局トイレに寄ってから支湧別へ。小学校を過ぎた交差点を左折し,橋を渡ってから次に左折する所(5万図上では十字路)で行き止まり。予想よりもはるかに手前のCo500地点。ここの路肩に車を停めて,準備をして出発。朝はけっこう寒かった。
上部はガスで,時折雪が舞い落ちてくる林道をひたすらあるいて,途中熊の足跡なんかも見つけてビクビクしながら林道終点の登山口。本気で眠くて歩きながら意識失いそうだった。そして日々の疲れも身体に感じたり。登山口には入山届けポストがあったのでいちおう記入。今まではこういうのにはほとんど書かなかったけど,カミフ会の活動を聞いて以来,たいてい書くようにしている。そして,もちろん冬に入っている人は一人もいなかった。
沢を渡って尾根に取り付く。夏道はしばらくはブル道を行っているようだったので無視して尾根。しかし,林道は全くなかったラッセルが,尾根に入ると極道ラッセルになる。バリズボでさらにグライドする膝ラッセル。時に腰から胸まではまる。表面の,ザラメが固まったような雪の下は,スカスカのグラニュー糖や上白糖。そしてその先には地面だったり枝やブッシュだったりでスーっとずり下がる。同じところの1ステップでもがき,分単位の時間がかかったりもする。まったくもってペースが上がらない。ブル道では半々くらいの頻度だったが,結構すぐにブル道は消えて尾根状の登山道になる。この尾根は細めの尾根でかなりブッシー。ちょっとした段差や倒木が多くてはまる。ところどころ岩も出てくる。ラッセルはいつまでたってもなくならない。今まで習得してきたラッセルムーブを全て出し切って乗り越えていく。標高で100上げるのに1時間もかかる鈍亀ペース。途中から日が射してきて雪が死ぬ。スノーシューが下駄になる。そもそも今回はスノーシューで来たせいでラッセルが極いのだが,スキーではとても登れない尾根(登れなくはないけどおすすめできない)。この状況の中,武利まで伸ばすのはもう無理だ。。。なんて思いつつ。ラッセルで汗だくになりながらも,頭に浮かぶのは仕事のことだったり。。。萎え萎え。
岩を捲いた先のCo1540で天場にいい所があったのでC1。この段階で,完全に武利は届かないので計画変更を決める。次の日予定C1に延ばしても,アタック後の最終日下山の見込みがつかないため。今回の計画はラッセルがそんなにないだろうという時間で立てていたが,ちょっと甘かったようだ。いかんせん記録がほとんどなかったので仕方ない所か。明日はいちおうニセイチャロマップ岳までは行こうかなぁという感じで就寝。夜中に熊の声のような幻聴がして目が覚める。。。
支湧別(06:05)-登山口(07:20/30)-Co1540C1(15:30)
3月21日 快晴
朝方は風がゴウゴウいっていた。4時過ぎに起きていつもの作業を淡々とこなしていく。少しだらだらしつつアタック装備でdepa。外は昨日とは変わり快晴。天場より上は東側に雪庇が出ている。朝は表面の雪が固いおかげで一部ではまるも快調。稜線に上がったところで久しぶりに1本デポ旗を打つ。そこからは登りもそんなになく支湧別のピーク着。ここから見る武利の北面はやはり魅力的で,今回は残念だったけどまたいつかと思ってしまう。しかし8年前は敗退したが,実際に見てみると敗退になって正解だったんじゃないかと思う。写真を撮って,ニセチャロの方に向かうも,なんだか気分が乗らない。5時間かけて往復するほどニセチャロに行きたいかというとそうでもないからだと思う。迷った時は安全側判断ということで,やっぱし下山することにした。また今度武利にアタックするときにということで。
ピークからは一瞬で天場に着いた。撤収してさっさと下降に入るが,予想通り下りでもひどい尾根。普通の尾根なら何も考えずにがしがし足を出していけば一瞬で下まで着くのだが,段差や倒木の処理はあるし,たまにトレースの上からでもはまる。とはいえさすがに下りは重力の恩恵にあずかれるので,登りとは段違いに早い時間で下りられた。林道は雪が緩んでたまにズボっといくものの概ね快調。しかし一日での雪の減り方に少し驚かされる。最後の方でなにやら熊っぽい足跡がずっと林道上に入っていて,口笛をずっと吹きながら周りを気にしつつ車に着いた。
C1(06:10)-支湧別岳(06:40/07:00)-C1(7:15/40)-登山口(9:35/50)-支湧別(11:05)
今回は計画の不備もあったかもしれないけど,やはり武利の北面をアタックするのは天場をかなり進めないといけないので厳しいと思いました。のっこしの方がその点では有利だけど,その場合はエスケープが取り辛いというのが問題になってきます。まぁ,今回でも一人じゃなかったら予定C1まで2日目に進めてというタクティクスもできたけど,やはり見通しが立ちづらい行動はなかなかできないもので。。。とにかく武利の北面はかっこよかったです。
写真はポジなのでまたそのうちということで。
しばらくこういう山行はおやすみすることにして,明日からGWまでは基本的にはテレマーカーの予定です。
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秘境西域八年の潜行(上、中、下)
中公文庫1990
980円、1100円、1200円
(現在は「秘境西域八年の潜行 抄」中公文庫BIBLIO 1000円)西川一三(かずみ)が死んだ。
先月2月7日、89歳。戦争中、興亜義塾生を経て、モンゴル僧に扮した諜報員として鎖国中のチベットに潜入、戦争が終わるまで(終わっても)生還するためチベットを彷徨った。むかし満州、モンゴル、トルキスタン、チベットと手を結び、シナを背後から包囲する「ツラン民族圏構想」というのがあった。大戦期(昭和18年)のチベットは中国(国民党政権や共産党)からも独立していて謎のエリア。そんなところへ手ぶらででかけて8年も。しかも後半6年は敗戦のため生き延びるための徒歩旅行だ。この体験の凄さは本を読まなきゃわからない。
チベットの山を狙っていた我々の80年代、開放政策の始まった直後の彼の地の情報は乏しく、この戦前潜伏モノ、西川一三、木村肥佐生らの手記を読んだ。のち1996年にブータン、チベット境のチョモラーリ(7326m)を登った折、この本をギャンツエ〜カリンポン間の、往年のチベット街道の現場で読むという、特上経験をした。西川は「チョモルハリ」を見上げる荒涼とした凍えそうな街道で、1904年の英軍ヤングハズバンドの古戦場跡に思いをはせるのである。僕の訪れたのは夏、地平線まで広がる菜の花畑と駄馬のひく馬車がのどかだった。
岳人4月号171pの岳人時評で江本嘉伸氏が西川氏との思い出などを記している。その中で西川は「チベット人から学ぶことは一つもないです。」「私が学びたいのは蒙古人。次はインド人。次はシナ人。チベット人は最低です。」というのがギャフンとおもしろかった。そうかもしれない。追いはぎに遭い、餓死凍死のすれすれで繋いだ旅だったろう。小野田寛郎氏もルバング島には二度と行きたくないと話していたし、先日お会いした青函トンネルを掘り続けた人も、つらいことばかり思い出すので二度と行きたくない、と。
このような人がまだ生きていたのを知ってはいたが、縁もないのに訪ねるという事にもならず。先月まで同じ時代の空気を吸ってきたという事にかえって違和感がある。亡くなった機会にまた本を開いた。
中公文庫は最近BIBLIOというシリーズになり、全三巻10センチ近くあったのがダイジェスト版の一冊になっているようだ。たしかに全部読むのは常人にはきつい。
尚、同じく同時代のチベット潜行記で、
●チベット潜行十年 (中公文庫)
木村 肥佐生 (著)
780円もコンパクトで良い。この人はダライラマ14世の少年期に会見しているし、ダライラマ自叙伝(My land my people)の日本語訳もしている。こちらもBIBLIO入りしていた。
●チベットわが祖国―ダライ・ラマ自叙伝 (中公文庫BIBLIO20世紀) 1100円
ダライラマ14世(著)、木村 肥佐生 (訳)*追記。昨日(3月16日)からチベットではえらいことになっている。しかしこれは今まで絶えず続いてきたこと。何故今チベットがこうなのか、今更ながら知りたい向きには「チベット我が祖国」の読書をお勧めします。餃子ごときで騒いでいる場合ではない。
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